北海道の本好きの独り言

北海道在住の本大好きな男のつぶやきです 本や北海道に関することを適当につぶやきます

ピンクレディーのポスターとお宝雑誌

先日、わが社のケイちゃんの一人暮らしの部屋に招かれて緊張しながら

独身女性(40代)のお宅訪問となりました。

 

ケイちゃんの好きなドーナツを買って伺うといきなり玄関にピンク・レディー

ポスターが貼ってあり、チョットの好奇心とかなりの後悔で複雑な気持ちでした。

 

ピンク色の来客用スリッパを勧められ、ボクの他に来客なんか来るのかな?と思ったりしながらお部屋へ

部屋の印象は正直 気持ち悪っていうのが正直な感想でした。

 

ピンク色を基調とした部屋にピンク・レディーのポスターが8枚も飾ってありました。

ケイちゃんに「個性的で素敵なお部屋ですね」って言うと嬉しそうに「ありがとう」と返されました。

 

アールグレイの紅茶とドーナツとBGMはピンクレディーメドレーでしばし談笑。

30分ほどして今回の目的 お宝雑誌を拝見させていただきました。

 

平凡・明星・近代映画平凡パンチから中学3年コース・DONDON・女性自身など

1970年代後半のピンクレディーが載っている雑誌雑誌雑誌雑誌・・・

 

すげぇ 凄すぎる なまらすげぇ(北海道弁

 

その後 サウスポーの振り付けなどをおしえてもらったりとあっという間に暗くなり帰宅時間になりました。

 

ケイちゃん凄すぎるよ あんたは

 

最後にケイちゃんに もしも願いが叶うとしたらどっち?と聞いてみました。

 

ピンクレディーのメンバーになれる」or「素敵な男性と結婚できる」って

 

答えは「結婚」だってさ  

 

違うんだよな、そこはピンクレディーって答えてよ。

我が社のピンクレディーとの飲み会でのお話

先日の忘年会で遭遇した我が社のピンクレディーの二人が飲みに行くとのことで

何故か私もお誘いを受け 嫌々ながら同行いたしました。

(二人の「サウスポー」を見たかっただけかも)

 

 

1970年代は彼女たちの青春時代でした。
男性歌手ではやはり新御三家といわれた郷ひろみ西城秀樹野口五郎が彼女たちの間でも話題になりました。3人の中で誰が一番好きかという話題でいつも盛り上がりました。
3人とも歌唱力はあったと思うのですが、その中でも最も上手に思えた野口五郎が我が社のケイちゃん(仮名)は一番好きでした。有名な「私鉄沿線」などは歌詞もよく、情況を想像しながらよく聞いたものです。「青いりんご」なども好きでしたね。
でも、同級生の間で一番人気だったのは西城秀樹だったと思います。「傷だらけのローラ」とか「ブーメランストリート」とか派手な曲が多かったですが、それはそれでかっこよかったと思います。
我が社のミーちゃん(仮名)は 郷ひろみは、デビュー曲の「男の子女の子」がちょっと幼稚な感じがして、容姿も少年っぽく、最初はあまり好きではなかったのですが、「よろしく哀愁」とか「お嫁サンバ」とかを歌うようになってからいいなと思うようになりました。

そしてミーは彼に夢中になりまいた。


3人ともそれぞれに特徴があり、個性を生かし自分らしさを出していたところがよかったと二人は意見一致。
現在一番活躍しているのは郷ひろみで、たくましくなったなあとミーは思っています。西城秀樹も病気を乗り越えてがんばっておられるようです。野口五郎はこのところ見ないので、ケイちゃんは少し寂しく思います。

我が社のピンクレディーの2人と私は場所をカラオケに移し、朝まで歌い踊りましたとさ。

 

なるほど我が社のピンクレディーはふたりとも独身で、朝帰りでも誰も心配しないんだとさ。

 

週末はケイちゃんのお宝の1970年台のアイドル雑誌を見せてもらいに行きます。

ピンクレディーの振り付けと雑誌「近代映画」

先日、と職場関係の忘年会の2次会での出来事です。

 

場所はカラオケ。 

とあるご婦人(40代後半)がピンクレディーの「UFO」を歌っていた時のこと、

歌唱力もさることながら 完璧な振り付けで歌っていました。

そうするともう一人のご婦人(40代前半)がステージに乱入し、今度は二人でUFOを

歌って踊り始めました。

 

二人の息はピッタリでキレッキレのダンスと歌で最高でした。

 

この日のためにさぞかし練習したんだろうなと思っていたらなんと全く練習していないし、しかも二人は今日が初対面・・・

 

歌い終わったあと、二人はどちらがミーでどちらがケイかがチョットもめていましたが。

 

すごい驚きとチョットばかりの気持ち悪さを感じましたが、改めてこの世代の

ピンクレディーの影響力のすごさを感じる出来事でした。

 

当時、学校中の女子はみな、踊りを覚えたりしていたようです。

きっと今でも、曲がかかれば、ピンクレディーの振付で踊って歌える人は多いのではないでしょうか。

そのくらい、当時の女の子の間では、ものすごい大人気でした。
小中学生が読む雑誌には、毎月のように、ピンクレディーが載っていたような気がします。
しかも、その付録が毎月とても楽しみだったようです。

 

なるほど、この前行った古本催事でピンクレディーさん表紙の『近代映画』が

5000円で売られていたのが理解できるできる。

 

今度はこの二人の「サウスポー」を見てみたいな。

 

 

昔、自分のお小遣いではじめて買ったレコードが松田聖子さんの「風立ちぬ」でした。


当時の私のお小遣いで買えるのは、シングルレコードがせいぜいだったので。
私はこのレコードを繰り返し繰り返し、本当に擦り切れるほどききました。
懐かしい…

 

透明感のあるきれいな声とルックスが大好きで、聖子ちゃんのファンでした。今も大好きですよ。


野菊の墓」という映画まで見に行ったくらいです。

それにしても、オーバー50でも若い!
娘のさやかさんがもう30歳近いなんて…信じられない。
さやかさんが生まれて、抱っこしながら病院を退院する聖子さんの姿が目に浮かびます。
あれからそんなに時が経ったのか。
ママになってからの聖子さんも精力的で、3つ並んだ音符のマークが印象的な洋服のブランドを立ち上げたり、海外へ進出したり。

私のような世代にしてみれば、聖子ちゃんカットのぶりっ子と言われた時代の、ふりふり衣装を着たかわいい聖子ちゃんの姿が思い出されますが、今の若い人たちにしてみれば、富士フィルムアスタリフトのCMなどで披露している、きれいな肌のワンレン聖子さんのイメージなんでしょうね。
いくつになっても、キュートで素敵。お肌がきれい。

そして紅白のトリも楽しみ。

 

これからもますますのご活躍を楽しみにしています。

 

P.S. 松田聖子ちゃんのセーラー服のポスターが古本屋さんで5万円で売ってたぁ

   しかも昔 わたしが部屋に飾っていたのと同じもの・・・

 

   自分がそうしていたように あのポスターの前の所有者の方も 

   何回も何回も 聖子ちゃんの唇部分にキスしてたんだろうなぁ

 

 

 

岡田有希子さんのグラビア雑誌

私の青春は岡田有希子さんと一緒でした。

ちょっとポッチャリであどけない笑顔と表情、ブリっ子とは感じられない純粋さがたまらなく好きでした。正に彼女を見ていると「胸がキューンとなる」そんな存在でした。

当時彼女の出る歌番組やCMはVHSビデオで録画して何度も見ていました。

私が一番好きな歌は「恋はじめまして」で、ポッチャリタイプのボディにフワフワ感のワンピースがとても似合い、ぎこちない振り付けで歌う姿が大のお気に入りでした。
彼女のあの笑顔と独特の高い歌声が、私の神経にスーッと入って来て、とても気持ちが楽になり、しっかりリセット出来ました。そして月曜日からまた頑張ろうと云う気持ちになりました。今私がこうして頑張っていれるのも、当時の彼女のお陰と云っても過言ではありません。
CMもお菓子、シャンプー、パソコンなどにも出演していて良くチェックしていました。ある時シャンプーのCMでヘアスタイルが突然変わって、今までの可愛い路線からちょっと大人のお色気路線になっていました。その時のCMのコピーが「きれいになったね!有希子さん~」というものでした。その後少し経ってからあの事件がありました。とてもショックでした。

雑誌「セブンティーン」「近代映画」「GORO」「ヤングルーキー」「中一時代」などなど 彼女のグラビア掲載のものは宝物だったなぁ

 

あのフワフワ感のワンピースで「恋はじめまして」を歌っている彼女の姿は、今でも私の胸の中に生き続けています。


彼女は昭和の時代の正統派癒し系アイドルだったと思います。

雑誌non-noと初デートとカメラマン志望

実家の母親から
「片づけていたらあなたのアルバムが出てきたわよ」
と久しぶりに電話がありました。

私もそんなものを作ったかな?と記憶になかったので、
当たり障りのない思い出話などをして電話を終えました。

 

ですが帰省の際に実物を見てみると、
とんでもなく恥ずかしい内容のものだったのです。

 

当時クラスの女の子が愛読していた「non-no」という雑誌で、
その雑誌のモデルさんの切り抜きの隣に、
同じ様な恰好をした憧れのクラスの娘のスナップが貼ってあるという、
なんとも不思議なアルバムでした。

「おしゃれに目覚めた時だったものねぇ…」

と、笑いを一生懸命こらえながら私に渡してきた母の顔がまともに見れず、
見せて見せてとせがむ子供たちを必死に振り払い、荷物の一番底にしまい込みました。

 

もう人目に触れさせたくはないものですが、
これを作った動機はクラスのマドンナに近づくために

「将来写真家を目指しているから モデルになってほしい」とお願いして

自称カメラマン志望のわたしに付き合ってもらって、
non-noを見ながら彼女が持ってる洋服をかき集め、nonnoのモデルさんと
同じような格好で スナップ写真を撮るという目的でデートするという

なんとも姑息な手段でマドンナをGETしようとして作ったアルバムです

 

今見ればモデルさんとは似ても似つかぬ仕上がりの写真ですが、
こうやってスクラップしたものをプレゼントして気を引こうとしていたのです。

 

何度か撮影デートをしましたが 結局サッカー部キャプテンと付き合ったとのうわさを聞き やめました

 

そんな影響で クラスのマドンナの娘も 東京に行ってモデルになりたいって言ってたよなぁ

 

彼女はちゃんと夢を実現できたんでしょうか。

 

もちろんわたしはカメラマンにはなれませんでしたが・・・

 

当時の雑誌nonnoなんかも買取してるとのことです

 

もう一度雑誌nonnoをみたいなぁ

思い出の映画雑誌の処分

70年代、母と兄はよく自宅の居間で、洋画を見ていました。その影響からか、私も洋画と海外のスターに憧れるようになってきました。

そして毎月欠かさず、ある洋画専門雑誌を読むようになりました。
その雑誌は、「ロードショー」と「スクリーン」です。


ページ数はたっぷりとあり、読み応えは十分です。

往年のハリウッドスターの、マリリン・モンローオードリー・ヘップバーングレタ・ガルボ、ジョン・ウェン、ゲーリー・クーパー
アイドルだとファラ・フォーセット・メジャース、リンゼイ・ワーグナーなど綺麗な女優さんに強く憧れていました。
彫の深い整った顔にまっすぐ伸びた長い手足、ジャンプスーツを着てポーズを決める女優さんたちに、眩し過ぎてクラクラしていたものです。綺麗過ぎて、とても同じ人間とは思えませんでしたね。

好きな女優さんの写真を切り抜いて、透明の下敷きに挟んで学校へ持って行き、友達に見せびらかしたり、自分の部屋の壁に貼って、ずっと眺めていました。
溜まった雑誌は、全て処分してしまいました。

札幌でも古い雑誌を高価買取してくれるところがあったなんて・・・

 

今思うと、なんて勿体無いことをしてしまったのだろうと、後悔しています。